「愛着障害 子ども時代を引きずる人々」を読んで2012年01月01日 10時25分21秒

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

さて、今日は、最近読んだ本の紹介です。『愛着障害 子ども時代を引きずる人々』(岡田尊司著 光文社新書)。今の子ども達が抱えている問題を理解し、その回復を図るためのヒントを与えてくれる本です。読んでいていろんなことを考えさせられました。

「愛着とは、人と人との絆を結ぶ能力であり、人格の最も土台を形作ってい」ます。

『心的外傷と回復』の中でハーマンが次のように述べているのも、同じことを言っているのだろうと思います。「世界の中にいて安全であるという感覚、すなわち<基本的信頼>は人生の最初期において最初にケアしてくれる人との関係の中でえられるものである。」「ケアをしてくれる人たちとの安全な結合感覚が人格発達の基盤である。」「世界には意味があるという信念は他者との関係において形成され、その開始は誕生直後に遡る。最初の親密関係において築かれる基本的信頼がこの信仰の基礎となる。」

著者は、「人間が幸福に生きていくうえで、最も大切なもの-それは安定した愛着である」と言います。最近、「発達障害」ということが盛んに言われるようになってきていますが、「この発達の問題の背景には、かなりの割合で愛着の問題が関係している」と指摘しています。

こうした観点から、愛着障害が生まれる要因と背景、その特性と病理などについて、具体例を挙げながら詳しく解説しています。同時に大切なことは、「愛着障害の克服」についても述べているということです。つまり、「愛着障害の克服」は可能だということです。

「愛着の原点は、親との関係で育まれ」ますから、「それを克服するには、親との関係を改善していくことが、最も望ましい」ことです。しかし、実際には「親の協力が得られないということもしばしばであるし、得られたとしても、そのためには、何が起きているのかを説明し、ボタンの掛け違いを気づかせる第三者が必要」となります。

「結局のところ、愛着障害を克服していく場合、こうした第三者の関わりが不可欠」であり、「その第三者が、親が果たしてくれなかった役割を、一時的に、場合によると数年という長いスパンで、肩代わりすることが必要」だと言います。「その場合にもっとも重要なことは、その第三者が安全基地として機能しているということ」です。

ちょっと長くなりますが。「安全基地」について説明している部分を引用します。

安全基地とは、いざというとき頼ることができ、守ってもらえる居場所であり、そこを心の拠り所、心の支えとすることのできる存在である。そして、外の世界を探索するためのベースキャンプでもある。トラブルや危険が生じたときには、逃げて帰ってきて、助けを求めることができるが、いつもそこに縛られる必要はない。よい安全基地であるためには、本人自身の主体性が尊重され、彼らの必要や求めに応えるというスタンスが基本なのである。

気持ちがまだ不安定で、心細さを感じるうちは、安全基地に頻繁に頼り、その助けを必要とするが、気持ちが安定し、安心と自信を回復するにつれて、その回数も減り、次第に自力で行動することが増えていく。さらにもっと時間が経てば、心の中で安全基地のことを思い描くだけで十分になり、実際にそこに頼ることもなくなっていくかもしれない。それこそが、究極の安全基地なのだ。

「安全基地が持てない障害」ともいえる愛着障害を克服するためには、よい安全基地となってくれる存在が、是非とも必要なのである。

今日の社会状況、子ども達の発達の困難さを見るときに、学童保育の指導員や学校の教員こそ、子ども達の発達を支える「よい安全基地」となるべき存在ではないかと改めて感じました。

全国研で何回も講演されている田中孝彦先生が、「福祉・医療・心理臨床・文化・教育などの分野で、困難に直面した子どもと大人を支えて働く『人間発達援助専門職』の仕事と役割が増大している」と述べ、「学童保育を現代の『発達援助実践』の重要な一環として、指導員を『発達援助専門職』の一員として位置づけ、その中に蓄えられている経験と洞察に関心と研究の光を当てる必要がある」と述べていらっしゃるのも、同じ問題意識からではないかと思いました。

最後に、この本の中で述べていた、よい「安全基地」になるための5つ条件を紹介します。

  1. 「安全感を保障するということ」「一緒にいても傷つけられることがないというのが、最優先されるべき安全基地の条件」である。
  2. 「感受性」「共感性」「愛着の問題を抱えている人が何を感じ、何を求めているのかを察し、それに共感することである。」
  3. 「応答性」「相手が求めているときに、応じてあげること」「それは、いざというときに『相談できる』『守ってもらえる』という安心感につながる。」
  4. 「安定性」「相手の求めに応じたり応じなかったりと、その場の気分や都合で対応が代わるのではなく、できるだけ一貫した対応を取ること」
  5. 「何でも話せること」「傷つけられたり、説教されたり、秘密をもらされたりする心配なく、何でも話せる人を持つことが、それを媒介として、変化を生み出す第一歩なのである」

日々の実践の中で、この5つの条件を心に留めておきたいと思います。

「助かった命が なぜ」と「震災遺児 1500人」を見て。2012年01月03日 23時21分53秒

日頃から、気になるTV番組はすべて予約しハードディスクビデオに録画しています。時間ができたときに、目を通すようにしているのですが、昨年2学期は、職場も元気っ子の活動も本当に忙しくて、どんどんビデオがたまるばかりでした。

今日は、やっと時間ができたので、朝からたまったビデオを見ていました。たまったビデオで多かったのは、やはり東日本大震災と原発事故に関連してのものでした。

特に印象に残ったのは、NHKスペシャルで、11月13日に放送された「助かった命が なぜ」と12月11日に放送された「震災遺児1500人」です。

「助かった命が なぜ」は、震災を生きのびることができたにも関わらず、数ヶ月たったあと自ら死を選ぶ人が後を絶たないということを取り上げたものです。

自ら死を選んだ方の中には、肉親を失った方もそうでない方もいらっしゃるということでした。肉親を失うということはもちろん大きな悲しみですが、それだけではなく、その人が「大切にしていたもの」を失ったという「喪失感」がとても大きな要因ではないかと指摘していました。

その「大切にしていたもの」は、一人ひとり違っていて、住み慣れた土地や家の場合もあるし、嫁入りの時に持ってきた桐のタンスであったり、様々です。一人ひとりの気持ちに寄り添ったきめ細やかな対策が求められています。

一軒一軒を回って丁寧に聞き取りを行っている保健婦さんの活動や地域でのつながりを作っていくさまざまな試みが紹介されていました。

「震災遺児1500人」も衝撃的でした。今回の震災で、親を亡くして子どもは1567人、両親ともなくした子どもは240人にものぼるということです。

祖父母の家で、明るく振る舞っていても、震災の話をし出すと急に不機嫌になり怒り出す子もいます。母を亡くしお父さんの期待に応えようと必死で頑張っている子は、担任の先生から、あなたは十分に頑張っているんだからそんなに頑張らなくていいんだよと声を掛けられて、声を出して泣いてしまいます。

表面的には落ち着いて学校生活を送っていても、子ども達の心の傷を本当に癒やすためには、長い時間と地域社会やまわりの大人達の丁寧で温かい関わりが不可欠です。

大震災を絶対に忘れないこと、物心ともに私達にできる支援をこれからも続けていくことが本当に大切なことだと改めて感じました。

「第7回子育てシンポジウム」打ち合わせで、講師の河野伸枝さんにお会いしてきました。2012年01月07日 22時10分47秒

今日は、2月19日(日)に開催する「第7回子育てシンポジウム」の打ち合わせをするために、講師の河野伸枝さん(全国学童保育連絡協議会副会長)にお会いしてきました。

子育てシンポジウム実行委員長の橋本さん、副代表理事の竹内さん、事務所の沼田さんと4人で車に乗り、昼過ぎに草加を出て、河野さんがお住まいの飯能市に向かいました。冬晴れの晴天のもと、富士山もきれいに見え、武蔵野の自然の中を約1時間ほどの楽しいドライブでした。

河野さんは、全国連協の役員として、全国で講演活動などを行い、昨年は東日本大震災の被災地にも何回か足を運ばれています。その中で、改めて人と人とのつながり、一人ひとりのありのままの存在を受け止め大事にすることが大切であると痛感したとおっしゃっていました。

今回のシンポジウムのテーマは「学童保育のたからもの "つながり"がはぐくむ 遊びと笑顔」です。草加の学童保育について説明したあと、とにかく、学童保育の大切さが実感でき、みんなが元気になるようなお話をしていただければとお願いしました。

約2時間いろんなお話をしました。つながりやぶつかり合いの中で子ども達が育っていく姿、そういう子ども達を見て親自身も変わっていくこと、障害を持った子がいても、みんながありのままに障害を受け入れて、お互いが成長して言っている姿などなど、話は尽きませんでした。

いっぱいお話しする中で、河野さんも含めてみんなで、「やっぱり学童っていいよね」という思いを確認することができました。この思いをみんなに伝えることができるように、シンポジウムの成功に向けて、準備を進めていきたいと思います。

シンポジウムのちらしは以下のページでご覧下さい。

「第7回子育てシンポジウム」ちらし

「今だから守りたい」大川中3年佐藤そのみさんの訴え。2012年01月08日 13時02分54秒

昨年暮れに、妻が被災地を巡るツアーに参加してきました。その時に、お会いした石巻の方がいろんな資料を送って下さいました。

その中の新聞記事に、中学校弁論大会石巻地区で審査員特別賞を受賞した佐藤そのみさんの文章がありました。

佐藤さんは現在、大川中の3年生。佐藤さんの妹さんは、大川小学校に通っていました。大川小学校は、全校児童108名のうち70名が亡くなり、未だに4名が行方不明となっています。佐藤さんの妹さんも、津波のために命を落とした一人でした。

佐藤さんの文章を是非とも多くの方に読んでもらいたいと思い、以下に紹介します。

 

「いまだから守りたい」

佐藤そのみさん(大川中3年)

「今のうちに家族や友達に優しくしないと、後で失った時に絶対後悔する」。この考えは、今年の1月ごろから、私の頭の中に唐突に浮かんできました。なんの意識もしていないのに、この言葉は毎晩のように脳内に連呼されていきました。

それでも私はいつものように、母や兄に反抗したり、妹にきつく当たったりと、その言葉を素直に受け入れることはありませんでした。

人の命はいずれ、この世からなくなってしまう。それぐらい分かっていました。でもそんな急に映画や小説みたいな別れ方なんてあるわけない。家族がいて、学校に通って、友達がいて、この何でもない平たんな日々が当たり前なんだと、私はそう信じていました。

しかし、3月11日、そんな映画や小説みたいな出来事が起きたのです。想像もしなかった大震災。震災から2日後に、大川小学校に向かう途中で事実を知らされた時も、寒さの中、安置所で妹を待っていた時も、5日後に妹が「ただいま」も言わずに帰った時も、これが現実で起きていることだとは認めたくありませんでした。

こんなの夢だ。夢じゃなきゃおかしい。変わり果てた大川の光景を目にして、そして妹を失ってこれを夢だと信じ続ける自分自身にしだいに耐えられなくなっていきました。

私が守りたかったもの。それは「バランス」でした。当たり前な日々とその中にいる自分。この2つのバランスです。

朝起きると妹は既に歯を磨いていて、私は時間ギリギリに家を出て、通学路の坂を自転車で下りるのが気持ちよくて、退屈な授業をみんなで脱線させて、部活動でみんなのプレーを眺めるのが楽しくて、放課後は自転車小屋でたわいもない会話をして、家に帰れば妹とギターで遊んで。

こんな当たり前の中のどれか一つが欠ければ、同じようなバランスは保たれていなかったと思います。私はこのバランスにすがるように、日々に流されていました。

今回の震災で、たくさんの人にとってのバランスが崩れました。いつもの自分を見失った人も多かったはずです。

「今のうちに家族や友達に優しくしないと、後で失った時に絶対後悔する」。今年になってから急にこの考えが浮かび始めた理由が、ようやく分かったような気がしました。

きっと自分じゃない他の誰かが、私の中に忠告していたのかもしれません。素直に受け入れれば良かった。もっと妹に優しくしていれば良かった。これほど後悔するのは初めてでした。

思えば、11日の朝、なぜかイライラしていた私は、妹に「おはよう」と言われても無視していました。

きっと私は、何もしなくても成立するバランスに甘えながら生きていたのだと思います。いつもの自分を保つことに精いっぱいでした。

しかし、震災で「いつもの自分」を失ったことによって「本当の自分」が分かってきたような気がします。何も頼るものがないと、本当に無気力でどうしようもない自分。行き詰まっても「どうにかなる」と高をくくってしまう自分。人と話したり人の話しを聞いたりすることが、本当は大好きな自分。

本当の自分を知って、いろいろな人と出会って、物事を見る視点や考え方が変わって、私はあることに気付きました。

「当たり前」なんて、どこにもない。きっと私が「当たり前だ」と思っていたものの一つ一つはふとしたきっかけから、私の目の前にそっと置かれたものだと思います。

一日一日が少しずつ違って、二度と同じ日はやってきません。だから「今」を大事に生きるということがどれほど大切でそれと同時にどれほど難しいか。私はあらためて思い知りました。

あるボランティアの大学生さんは、私にこんなことを言ってくれました。いい人生だったか悪い人生だったか分かるのは、本当に最期の時なんだから、ちっぽけな「いい・悪い」に悩まないで、とりあえず一番先に大事にできるものは「今」なんだよ。

そう考えると妹は、一日一日をすごく大事に、楽しく生きていたような気がします。これからは「当たり前」なんか求めずに、しっかり「今」と向き合っていかなければいけません。

最後に、私が守りたいものは「今日」です。「今」という時間を大切にすることです。

草加市賀詞交換会に参加してきました。2012年01月11日 22時37分22秒

今日の午後、草加市賀詞交換会があり、学童保育の会の会長である青木さん、事務所の沼田さん、事務局の高野さんと4人で参加してきました。

市長、国会議員、県会議員、市会議員の皆様方一人ひとりに、ご挨拶をし、学童保育に対する日頃のご支援のお礼を申し上げました。

子育てに関わっている地域の団体の方やNPO法人の方などもたくさん参加していました。また、顔なじみの市の職員の方、お世話になった元市会議員の皆さん、教え子のお父さんなど、久しぶりに会う方もいて、大変懐かしく思いました。

行政や議会、地域の皆様方のご理解があっての学童保育です。これからも、いろんな人とのつながりを大切に活動を続けていきたいと思います。