東北関東大地震被災者への支援を、そして子どもたちには笑顔を!2011年03月16日 21時54分23秒

東北関東大地震が発生して、6日が経ちました。日を追うにつれ、その被害の大きさが明らかになってきています。ひとつの町全体が根こそぎ崩壊している映像などが繰り返し放送されており、今回の災害の大きさにただただ驚くばかりです。

今回の災害で亡くなられた方にお悔やみ申し上げますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。

今回の惨状を目の当たりにして、私たちに何かできることはないのかと、多くの方が考えていらっしゃることかと思います。元気っ子クラブのある指導員は、さっそく義援金を集めることを、次のように、指導員全員に呼びかけてくれました。

3/11は、草加でも今まで経験したことのない揺れを感じました。そのあとも、激しい余震はなんどかありましたが、草加はそれだけで済みました。

しかし、東北地方、特に宮城県、岩手県の沿岸部は、大きな津波が打ち寄せ、壊滅的な被害を被っていました。あの映像を見た時、あの町にも学童はある。なにか手助けはできないかと考えました。本来ならば、ボランティアとしてお手伝いに行きたいところですが、草加にも子どもたちはいる状況で、そのようなことはできない。それならば、今回被害にあった地域の学童の復興の為に、義援金という形でお金を送ってはどうかと思いました。

自分たちの生活も厳しいのは、重々承知の上ですが、同じ仕事をする仲間、学童に通う子どもたちの為、働かなければならない父母を支える為に、少しでも良いので、カンパをして頂けたらと思います。

元気っ子クラブ全体としても、何かできることはないのか。この指導員の呼びかけにも答えて、積極的に検討していきたいと思っています。元気っ子クラブとしては、原則として今月中の夜の会議を全て延期としましたが、常任理事会だけは、明後日の夜開催します。さまざまな検討課題はありますが、今回の災害支援についても話し合っていきたいと思います。

東北関東大地震当日の3月11日は、草加市内、東京近郊でも交通期間が完全にマヒし、電話もなかなかつながらないという状況でした。草加では、都内に勤務している方も多く、保育園や学童保育室にお迎えに行こうにも、全く交通手段がないという方もたくさんいました。

こうした中で、市内の多くの保育園・学童保育では、保母さん・指導員さんが、保護者の帰りを待つ児童を夜遅くまで保育をしました。市としても、毛布などを用意し各施設に届けてくれました。

電車が動かないため、東京から徒歩で帰宅したという保護者もおり、学童保育で、最後の児童を引き渡したのは午前0時を回っていたということでした。指導員さん自身は、家に帰ることが出来なかったため、複数の学童保育では、指導員が学童保育室に泊まり、そのまま次の日の保育を行ったということです。子どもたちの安全を守り、最善を尽くすというその熱意に本当に頭が下がります。

大地震の後、恐怖心から外に出るのが怖くなったという児童もいるようです。連日のように、災害の様子が報道され、余震も続く中で、不安やストレスを感じたまま過ごしている子どもたちも多いのではないかと思います。未曾有の事態であり、大人自身も大変な時期ではありますが、こうした時期だからこそ、学童保育も含め、大人一人ひとりが、子どもたちの気持ちをきちんと受け止め、安心して楽しい日々が過ごせるように心を砕いていきたいものだと思います。

学童保育は、放課後の子どもたちの安心と安全を守る「とりで」2011年03月20日 08時26分36秒

大地震が発生して、十日が経ちました。被災地での大変さとは比べものにはなりませんが、夜街灯が消え、真っ暗な中心細い思いで帰宅をしたり、夜の計画停電で懐中電灯の明かりで過ごさなかったりと、今まで自分たちが、いかに電気に頼り、贅沢な暮らしをしていたのかということを思い知らされている毎日です。これまでも「エコ」を心がけていたつもりでしたが、今回改めて、普段使っていない電気用品のコンセントを抜いてみて、こんなにも無駄にコンセントを指していたんだと実感しました。

私が勤務している高校では、1日だけ臨時休業しましたが、それ以外は普段通りに学校生活を送っています。(計画停電の影響で、多少の日程の変更はありますが。)電車通学の生徒も、本数が減りぎゅうぎゅう詰めの電車に耐え、ほとんどの生徒が毎日「元気に」登校しています。震災報道を見聞きし、それぞれに不安や恐怖を感じている生徒も多いのではないかと思いますが、当たり前のようにみんなが学校に集まり、友と過ごすことができるということが、とてもうれしいようです。私達教員も、生徒が落ち着いて学校生活を送ることができるように、平静に振る舞うよう努めています。

元気っ子クラブが運営している学童保育においても、子どもたちが安心して落ち着いた毎日を過ごすことができるように、指導員さんたちが本当によく頑張ってくれています。遠距離通勤のため通勤に不安がある指導員さんたちが、しっかりと子どもたちを迎えるために、他の指導員の家に泊まって、保育にあたってくれているという話も聞きました。本当に頭が下がる思いです。

学童保育は、子どもたちにとっての「放課後の家庭」です。子どもたちの安心と安全を守る「とりで」として、学童保育に関わる大人みんなが、それぞれに精一杯の努力をしていきたいものだと思います。

みんなで協力して、この困難を乗り切りましょう。2011年03月21日 22時15分57秒

東日本大震災の影響を考慮し、元気っ子クラブでは、拡大理事会も含めて、この間、夜間の時間帯に開催を予定していた会議の全てを「中止」または「延期」しています。常任理事会も、18日(金)の夜間に事務所での開催を計画していましたが、計画停電を実施している地域もあり、常任理事自身の家族や子どもたちの安全、行き帰りの危険性などを考慮し、連休中の20日(日)の午後に延期としました。

連休中は計画停電も実施されずに、20日、久しぶりに常任理事のメンバーが事務所に集まり会議を行うことができました。保育時間延長の実施等も含めた新年度に向けての準備、今年度の決算、総会に向けた準備など、課題はたくさんありますが、当面必要なことについては、協議を行うことができました。

3月中は公共施設の夜間の貸し出しを行っていませんし、計画停電が引き続き実施されていることなどを考えた場合、しばらくの間は、夜間の会議を行うことはできないと考えられます。3月22日に開催するはずだった「第6回拡大理事会」については、「延期」ではなく「中止」としたいと思います。

次回の「第7回拡大理事会」は、4月26日(火)の夜間の開催を予定していましたが、4月24日(日)午前9時30分からの開催に変更します。会場は、文化会館レセプションルームです。正式な通知については後日連絡いたしますが、予定に入れておいて頂ければと思います。「第6回拡大理事会」でやるはずだった内容についても、合わせて行います。

なかなか頻繁には会議が開催できませんが、必要な書類や内容については、各学童や理事さんに文書等で連絡いたします。

保護者も指導員も、日々の生活や通勤で大変なことと思いますが、子どもたちのために、みんなで協力してこの困難を乗り越えていくことができればと願っています。

事務所も常任理事も、一生懸命にがんばっています。十分に対応し切れていない点はあるかもしれませんが、是非ともご理解をお願いいたします。

福島第一原発事故について思うこと2011年03月21日 23時45分14秒

今日は、福島原発事故について少し書きたいと思います。

消防庁、機動隊、自衛隊などが必死に放水作業を行い、一定の成果が上がっているとも思われます。危険を承知で、こうした放水作業などに関わっている方たちは、本当に立派だと思います。しかし、今日も2号機3号機から煙が上がるなど、未だに今後の見通しは不透明です。

農産物や水などに残留放射能が検出されるなど、放射能による長期的な被害も心配されるところです。今現在の放射能濃度が、「健康に影響ない」レベルであったとしても、何もなければ起こりえない放射能の漏洩がずっと続いているわけですから、地面や水などにそれが蓄積されていくという恐れは、常識的に考えても起こりうることなのではないかとおもいます。

私は、人間が行うことに「絶対」ということはあり得ないと思っています。これまでも、「原発は絶対安全です」などと聞くたびに、「本当かいな?」と思っていましたが、今回の事故で、「原発は絶対安全」ではなかったということが、明確になったのではないかと思います。事故が起きたときに、人間の手に負えないようなものならば、もう使うべきではありません。

実は、「福島原発」は元々「安全」ではなかったのではないかということを報じる次のような記事が、16日付けの毎日新聞に載せられていました。

福島第一原発などで使用されている原子炉について、米国の専門家が約40年前から設計上の脆弱性を指摘していたことが分かった。米紙ニューヨークタイムズ(電子版)が15日報じた。(中略)

同紙によると、米原子力委員会(現在の米原子力規制委員会の前身)の専門家は72年、マーク1の原子炉格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘した。(中略)

また、80年代半ばにも、米原子力規制委員会の専門家が事故の危険性が高いと主張した。(後略)

こうした情報は、原発関係者ならば当然知っていたのではないでしょうか。また、国の原子力安全委員会が策定した「防災対策指針」そのものが、非常に不十分だったのではないかという指摘も報道されています。

同指針では、「防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」の目安を、原発から半径8~10㎞以内としています。しかし、今回の事故では、避難指示が半径20㎞、屋内退避指示は20~30㎞となっており、この指針の範囲を大きく超えています。国の想定そのものが、きわめて不十分であったということを認めたも同然です。

電力会社や原発を推進したいと考えている企業などのデータを鵜呑みにして、原発の格納容器が壊れたり、炉心溶融が起こるような事故そのものを想定していなかったのではないかと考えられます。

これだけ、国民の不安が広がっている中でも、次のような発言をしている財界人がいるということも驚きです。

日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)は、16日東京都内で記者団にたいして、深刻な事態を招いている今回の福島第一原発事故に関して、次のように述べたといいます。(「北海道新聞」17日付)

「千年に一度の津波に耐えているのはすばらしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ。」また、「北海道新聞」によれば、米倉会長は、「事故は徐々に収束の方向に向かっているとし『原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない』と発言」したということです。

原発事故のせいで、多くの人が避難をし、何の落ち度もない農家や酪農家の方が大変な迷惑を被っているというのに、全く無神経な発言であり、憤りを禁じ得ません。

夢と希望を持って草加の学童保育指導員としての第一歩を踏み出していきましょう!2011年03月25日 23時37分11秒

今日の午前中、今年度途中採用した指導員と来年度新採用の指導員を対象とした、新人研修を行いました。1名は、ご自身の卒業式のために欠席でしたが、8名の新人指導員が参加しました。

最初に、私が、学童保育の歴史、草加における学童の運動、元気っ子クラブの理念などについて、40分くらいお話ししました。次に、両新田学童の竹内先生が、指導員の仕事に関して、子どもが育つということ、保護者との関係、指導員同紙の関係(チームで仕事)などについて1時間くらいお話ししました。

その後、和やかな雰囲気の中で、自己紹介もかねてお互いの感想を出し合いました。その中で、どんなふうに呼ばれたいかということも出し合って、ニックネームも決めました。最後に、事務所から、就業規則などについての説明を行いました。

研修が終わったあとには、みんなでメルアド交換。4月から、いろいろ大変なことも苦労することもあるかもしれませんが、みんなで協力し合い、悩んだときには相談し合い、励まし合って、学童保育指導員というとてもやりがいのある仕事を楽しみながら続けていってほしいと心から願っています。