福島第一原発事故について思うこと2011年03月21日 23時45分14秒

今日は、福島原発事故について少し書きたいと思います。

消防庁、機動隊、自衛隊などが必死に放水作業を行い、一定の成果が上がっているとも思われます。危険を承知で、こうした放水作業などに関わっている方たちは、本当に立派だと思います。しかし、今日も2号機3号機から煙が上がるなど、未だに今後の見通しは不透明です。

農産物や水などに残留放射能が検出されるなど、放射能による長期的な被害も心配されるところです。今現在の放射能濃度が、「健康に影響ない」レベルであったとしても、何もなければ起こりえない放射能の漏洩がずっと続いているわけですから、地面や水などにそれが蓄積されていくという恐れは、常識的に考えても起こりうることなのではないかとおもいます。

私は、人間が行うことに「絶対」ということはあり得ないと思っています。これまでも、「原発は絶対安全です」などと聞くたびに、「本当かいな?」と思っていましたが、今回の事故で、「原発は絶対安全」ではなかったということが、明確になったのではないかと思います。事故が起きたときに、人間の手に負えないようなものならば、もう使うべきではありません。

実は、「福島原発」は元々「安全」ではなかったのではないかということを報じる次のような記事が、16日付けの毎日新聞に載せられていました。

福島第一原発などで使用されている原子炉について、米国の専門家が約40年前から設計上の脆弱性を指摘していたことが分かった。米紙ニューヨークタイムズ(電子版)が15日報じた。(中略)

同紙によると、米原子力委員会(現在の米原子力規制委員会の前身)の専門家は72年、マーク1の原子炉格納容器が小さいことを問題視。水素がたまって爆発した場合、格納容器が損傷しやすいとして「使用を停止すべきだ」と指摘した。(中略)

また、80年代半ばにも、米原子力規制委員会の専門家が事故の危険性が高いと主張した。(後略)

こうした情報は、原発関係者ならば当然知っていたのではないでしょうか。また、国の原子力安全委員会が策定した「防災対策指針」そのものが、非常に不十分だったのではないかという指摘も報道されています。

同指針では、「防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」の目安を、原発から半径8~10㎞以内としています。しかし、今回の事故では、避難指示が半径20㎞、屋内退避指示は20~30㎞となっており、この指針の範囲を大きく超えています。国の想定そのものが、きわめて不十分であったということを認めたも同然です。

電力会社や原発を推進したいと考えている企業などのデータを鵜呑みにして、原発の格納容器が壊れたり、炉心溶融が起こるような事故そのものを想定していなかったのではないかと考えられます。

これだけ、国民の不安が広がっている中でも、次のような発言をしている財界人がいるということも驚きです。

日本経団連の米倉弘昌会長(住友化学会長)は、16日東京都内で記者団にたいして、深刻な事態を招いている今回の福島第一原発事故に関して、次のように述べたといいます。(「北海道新聞」17日付)

「千年に一度の津波に耐えているのはすばらしいこと。原子力行政はもっと胸を張るべきだ。」また、「北海道新聞」によれば、米倉会長は、「事故は徐々に収束の方向に向かっているとし『原子力行政が曲がり角に来ているとは思っていない』と発言」したということです。

原発事故のせいで、多くの人が避難をし、何の落ち度もない農家や酪農家の方が大変な迷惑を被っているというのに、全く無神経な発言であり、憤りを禁じ得ません。

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