「競争」ではなく「協同」を! ― 2006年12月10日 21時08分27秒
教育や福祉の場においても、「競争」ということがさかんに言われています。
指定管理者制度も、「競争することによってより良いものができる」という考え方にもとづいています。義務教育段階から学校を選べるという「学校選択制」も、そうすることによって、学校どうしが「競争」しあい、より良い教育ができるということのようです。教育を行う先生自身が、人事評価によって、「競争」を強いられるようになってきています。
「人間会議」という雑誌の夏号で、「競争は人を幸せにするか」という特集をやっていました。いろんな人-生態学者、エコノミスト、精神科医、心理学者、企業の経営者、スポーツ選手など-が、「競争」について論じていました。
その中で、一番共感できたのが、杉江修治さん(中京大学教授)という教育心理学者が書いた、「意欲を高めるのは『競争』よりも『協同』」という小論でした。以下にその内容の一部を、要約して紹介します。
最近「競争」という言葉が教育の現場でもよく使われているが、意義がきちんと理解されていない。「切磋琢磨」は「競争」の範疇だと思っている人が多いが、それはお互いの高めあいがゴールになっており、プロセスは競い合っているとしても、実は「協同」に属するものである。
「協同」というと「助けあい」や「やさしい」「生ぬるい」という言葉を連想する人もいるが、実際には「協同」の方が「競争」よりも厳しい。自分の活動や勉強をするだけでなく、仲間の成長の手助けをしなければならないし、手助けされる側はそれに真剣に応えなければならない。自分だけの成果をあげればいい「競争」よりも、「協同」で求められる個人の責任は、メンバー全員にとって遙かに重い。
教育心理学の分野では「協同」と「競争」に関して、千を超える実証的な研究成果が発表されている。どのような取り組みでも、ほぼ一貫して「競争」よりも「協同」の方が優れるという結果が出ている。
なぜ「協同」の方がすぐれた結果を生み出すのか。多くの人の知恵が集まるからいいと思われるかもしれないが、それ以上に、モチベーション=意欲を高める効果が高いからである。
「競争」というのは相手に勝ってしまえばそれで目的は果たされることになる。また「競争」が意欲を高める効果を及ぼすのは、勝つ見込みがある者に対してだけである。見込みのないものは最初からあきらめてしまう。ある分野では優秀な人でも、苦手な分野には手を出さなくなってしまう。
今後、日本社会が「競争」を基本にやっていくのだとしたら、膨大な人材の損失を招くだろう。競争で勝てるのは一部の人だけで、負ける人たちの方が絶対的に多い。社会全体の意欲のレベルは間違いなく下がるだろう。
「協同」というと「では一律教育か」と思われがちであるが、もちろん個人差を無視すべきではない。仲間同士、互いの個を尊重した上で、伸ばしあう。誰だって成長したいと思っている。そこを適切に支援してくれる仲間がいるかどうか、ということが人の意欲の根源である。安易な「競争」原理の導入は、そうした、人が本来的に求めている関係を壊してしまう危険性がある。
私たちが学童の場において大事にしたいことも、「協同」の理念に基づく活動です。
「『競争』ではなく『協同』に基づく福祉や教育を!」
このことを声を大にして言いたいと思います。
指定管理者制度も、「競争することによってより良いものができる」という考え方にもとづいています。義務教育段階から学校を選べるという「学校選択制」も、そうすることによって、学校どうしが「競争」しあい、より良い教育ができるということのようです。教育を行う先生自身が、人事評価によって、「競争」を強いられるようになってきています。
「人間会議」という雑誌の夏号で、「競争は人を幸せにするか」という特集をやっていました。いろんな人-生態学者、エコノミスト、精神科医、心理学者、企業の経営者、スポーツ選手など-が、「競争」について論じていました。
その中で、一番共感できたのが、杉江修治さん(中京大学教授)という教育心理学者が書いた、「意欲を高めるのは『競争』よりも『協同』」という小論でした。以下にその内容の一部を、要約して紹介します。
最近「競争」という言葉が教育の現場でもよく使われているが、意義がきちんと理解されていない。「切磋琢磨」は「競争」の範疇だと思っている人が多いが、それはお互いの高めあいがゴールになっており、プロセスは競い合っているとしても、実は「協同」に属するものである。
「協同」というと「助けあい」や「やさしい」「生ぬるい」という言葉を連想する人もいるが、実際には「協同」の方が「競争」よりも厳しい。自分の活動や勉強をするだけでなく、仲間の成長の手助けをしなければならないし、手助けされる側はそれに真剣に応えなければならない。自分だけの成果をあげればいい「競争」よりも、「協同」で求められる個人の責任は、メンバー全員にとって遙かに重い。
教育心理学の分野では「協同」と「競争」に関して、千を超える実証的な研究成果が発表されている。どのような取り組みでも、ほぼ一貫して「競争」よりも「協同」の方が優れるという結果が出ている。
なぜ「協同」の方がすぐれた結果を生み出すのか。多くの人の知恵が集まるからいいと思われるかもしれないが、それ以上に、モチベーション=意欲を高める効果が高いからである。
「競争」というのは相手に勝ってしまえばそれで目的は果たされることになる。また「競争」が意欲を高める効果を及ぼすのは、勝つ見込みがある者に対してだけである。見込みのないものは最初からあきらめてしまう。ある分野では優秀な人でも、苦手な分野には手を出さなくなってしまう。
今後、日本社会が「競争」を基本にやっていくのだとしたら、膨大な人材の損失を招くだろう。競争で勝てるのは一部の人だけで、負ける人たちの方が絶対的に多い。社会全体の意欲のレベルは間違いなく下がるだろう。
「協同」というと「では一律教育か」と思われがちであるが、もちろん個人差を無視すべきではない。仲間同士、互いの個を尊重した上で、伸ばしあう。誰だって成長したいと思っている。そこを適切に支援してくれる仲間がいるかどうか、ということが人の意欲の根源である。安易な「競争」原理の導入は、そうした、人が本来的に求めている関係を壊してしまう危険性がある。
私たちが学童の場において大事にしたいことも、「協同」の理念に基づく活動です。
「『競争』ではなく『協同』に基づく福祉や教育を!」
このことを声を大にして言いたいと思います。

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