「菜の花畑の笑顔と銃弾」~アフガンで死んだ伊藤さんの思い2009年02月28日 23時19分54秒

最近見た、テレビ番組の感想、紹介です。

番組名は、NHKスペシャル「菜の花畑の笑顔と銃弾」、昨年8月、アフガニスタンで拉致、殺害された伊藤和也さん(31歳)を取り上げた番組です。

伊藤さんが亡くなった後、彼が使っていたパソコンが家族の元に届きました。その中には、彼がアフガニスタンで暮らした5年間の間、撮影してきた3,000枚にも及ぶ写真がありました。家族でさえ知らなかった5年間の記録です。

伊藤さんがいた村の雑貨屋には、今も伊藤さんの写真が飾られています。その写真には、「日本のヒーロー」と書かれてありました。なぜその写真を飾っているのかと尋ねると、「村人達がみんな写真を見たがるから」「彼は村を愛しつくしてくれた」「私たちの兄弟みたいだった」とお店の人は語ります。アフガニスタンの人たちのために一生懸命働いた伊藤さんが、なぜ銃弾により非業の最期を遂げなければならなかったのか、村の人たちにとっても彼の死は、深い悲しみを与えるものでした。

農業短大を卒業し、「アフガニスタンを緑豊かな国に戻すお手伝いをしたい」という思いで、伊藤さんはアフガニスタンに向かいました。彼が参加したのは、医師中村哲さんが率いている「ペシャワール会」です。中村さんは、干ばつのアフガニスタンを救うのは銃ではなく、まず「パンと水」であると考え、全長23キロにも及ぶ用水路を建設し、砂漠を農地に変えるという壮大な計画「緑の大地計画」を構想し、実行に移しています。

伊藤さんは、最初にこの用水路の建設に携わり、最初の2キロが完成した後、農業の知識を活かすため試験農場に移りました。そこで、乾燥した大地で育つ作物の研究を4年間行っていました。何回も失敗を重ねながら、次第にアフガニスタンに適したサツマイモなどを作ることが出来るようになりました。

荒れ地は、伊藤さんが来て3年後には、きれいな菜の花畑になりました。菜の花は、豊かな天然の肥料となります。彼が撮った写真の中に、一面の菜の花の中で女の子が微笑んでいる写真があります。

伊藤さんが撮った写真は、最初はアフガニスタンの風景、その後は苗や植物の写真がほとんどでしたが、しだいにアフガニスタンの子ども達の写真が増えていきます。子ども達にも親しまれ、しだいに村人の中に溶け込んでいきました。

こうした中、自衛隊によるインド洋上での給油活動が継続されることになり、日本は、アフガニスタンを爆撃するアメリカの協力者であると考えられるようになりました。アフガニスタンでの対日感情は悪化していきます。伊藤さん達も、安全のために、トラックに付けていた日の丸を削らざるを得ませんでした。

米軍の誤爆により、民間人の死傷者も出るようになり、外国人に対する反発も強くなり、治安も悪化してきました。伊藤さん達も、暗くなってからの作業は危険だということで、夕方以降は現地の人たちに仕事をしてもらうようになってきました。

昨年8月26日、護岸工事の現場に向かう途中、伊藤さんは武器を持った男達に拉致されてしまいます。拉致されたと知り、村人達は伊藤さんを救おうと、後を追いかけましたが、間に合わず、射殺されてしまいました。伊藤さんの葬儀には、村人1.000人以上が集まりました。「自分の息子を失ったような気持ちだ」「伊藤のことは一時も忘れられない」と村人は語ります。

「緑の大地計画」は、残りあと2キロとなっています。オバマ新大統領は、イラクからは米軍を撤退させるとしているものの、アフガニスタンに対しては逆に兵力を増員するとしています。中村哲さんは、米軍の増強が、新たな混乱を招くのではないかと懸念して、用水路の完成を急いでいます。中村哲さんは、日本人の若者を全て帰国させ、一人で用水路工事の監督を行っています。おそらく、新たな若者の犠牲者を出したくないという思いからなのでしょう。自ら、重機も運転し作業を続けています。

淡々とした映像、語りなのに、なぜか胸が締め付けられ、思わず涙してしまいました。「テロと戦い平和を守る」という戦争が、治安の悪化を招き、結果として、アフガニスタンを救いたいというひとりの日本人青年の命を奪ってしまったと言ったら言い過ぎでしょうか。

公然と、人と人とが殺し合うという「戦争」というものを、本当にいい加減やめてほしいとつくづく思います。軍事力の増強や戦争によっては、真の平和は実現できないということを、もういい加減、人間は学ばなければなりません。