青柳児童クラブが被災地に千羽鶴を送りました。2011年06月03日 22時49分19秒

青柳児童クラブでは、東日本大震災の支援のために、子ども達みんなで千羽鶴を折りました。

できあがった千羽鶴は、埼玉県連協を通して、岩手県連協に送られ被災地の学童保育へと届けられました。届けられた先は、岩手県大船渡市「にこにこ浜っ子クラブ」。

そこの指導員さんが記しているブログに、千羽鶴が届いたときの様子が記されています。

自分たちができる支援を考え、実行に移していくということが大切なんだなあと改めて感じました。

8年目を迎えた統一運営!~さらなる発展を目指して~2011年06月05日 22時47分57秒

遅くなりましたが、5月に行われた元気っ子クラブ総会の報告です。

5月15日(日)、NPO法人草加・元気っ子クラブの第8回総会が行われました。下国子ども未来部副部長、山川県議、今村市議、斎藤市議、井手市議、秋山市議、新井市議など多くの来賓の方にご臨席を賜りました。また、細川厚生労働大臣、草加市長、草加市教育長、谷古宇県議、平野市議からメッセージをいただきました

忙しい中多くの保護者、指導員に集まっていただくわけですので、今回の総会では、型どおりに議事を進行させるだけでなく、集まっていただいたみんなが「楽しく元気が出るような総会」にしたいと考えていました。そこで、1年間の活動の中で、みんなに聞いてもらいたい思うことについて、事前に発言を用意していただきました。

西町と松原児童クラブが、草加市によって新施設を建てていただきましたが、新施設までの両父母会の活動の報告。元気っ子クラブの活動の要のひとつとも言える保育料徴収、開会活動についての報告。指定管理者制度の更新年となる氷川児童クラブの父母会の取り組み。東日本大震災に関連して、連絡もつかずに本当に不安な思いでいた保護者の思い。交通機関が止まっている中、保護者が夜遅くなって学童にお迎えに来るまで、子ども達が不安にならないように保育を行った指導員の報告。義援金の呼びかけ。そして最後に、個性を持って一人ひとり違う子ども達をきちんと受け止め、保護者と協力しながら子ども達の成長を見守っている保育の現場からの報告をしてもらいました。

17の学童の活動、父母会にも保育にもさまざまなドラマがあり、日々感動があります。その全てを短い時間の中で報告することは不可能ですが、その一端を、これらの発言を通してみんなで共有することができたのではないかと思います。

 

草加・元気っ子クラブが、市内の学童保育の統一運営を開始して、7年が経過しました。指定管理者制度による委託学童数の増加、再指定に向けての取り組み、児童数の急増による大規模化の進行など、さまざまな課題や困難がありましたが、多くの方々のご理解と協力により、ここまで来ることが出来ました。理事や役員を始めとした各父母会の保護者の皆様、大規模化など困難ななか保育を担っている一人ひとりの指導員、行政や議員、地域の方々に、この場を借りて改めて心からの感謝を申し上げたいと思います。

いつも言っていることですが、学童保育は大変に遅れた施策であり、国としてのしっかりとした制度もいまだに確立されていません。行政からの援助もない中、当事者である保護者と指導員が作りあげてきたのが学童保育の歴史ですが、こうした状況は、基本的には現在でも変わっていません。

多くの保護者と指導員の協力もと草加・元気っ子クラブが設立され、民間共同学童の統一運営を始めたのは、草加においてより良い学童を作っていくための大きな一歩でした。8年前、元気っ子の設立と統一運営に向けては、それぞれの父母会で真剣な論議が積み重ねられ、事務局は連日夜遅くまで会議を重ねました。担当課とも繰り返し繰り返し協議を重ねました。月日が経ち、その当時のことを知る人が担当課には一人もいなくなり、保護者の中でも少なくなってきています。その一方で、児童数の急増、大規模化の進行など、さまざまな課題や困難も生まれてきています。

過去の歴史をきちんと引き継ぎながら、今抱えている課題や困難を解決していくために、草加市においてどのような学童を作っていくのか、そのために元気っ子クラブはどのような組織であるべきか、どのような運営を行っていくべきなのか、草加市との関係はどうあるべきなのか、ということなどについて、今改めて考えるべき時期にきているのではないかと思っています。こうした思いから、常任理事会としては、学童保育の会や指導員会、指導員労組などにも呼びかけ、「草加の学童保育のあり方検討会(仮称)」を立ち上げることを決めました。5年後、10年後のさらなる発展を目指して、真剣な論議を重ねていきたいと考えています。

草加市の子ども達のため、よりよい学童保育の実現のために、みんなと協力しながら今年も頑張っていきましょう。

(この文は、元気っ子ニュースの原稿としての書いたものです。)

真実(まこと)を胸に刻み、共に未来を語ろう!2011年06月16日 22時56分40秒

フランスの詩人ルイ・アラゴンの有名な詩「ストラスブール大学の歌」の一節に、「教えるとは共に希望を語ること 学ぶとは真実(まこと)を胸にきざむこと」という言葉があります。教育の本質を伝える言葉として、いろんなところで繰り返し使われていますし、私自身も何回か使ったこともあります。しかし、私なりにこの言葉の意味をきちんと理解できたのは、比較的最近のことです。

私は高校の教員になって30年が過ぎましたが、「希望を語る」どころか、何回言っても言うことを聞かない生徒に業を煮やし怒鳴りつけてしまったり、クラス経営がうまくいかないのを生徒や親のせいにしたり、自分自身の思いを一方的に押しつけたり、そんな失敗をいやというほどやってきました。

個性を持ち、いろんな環境の中で育ってきている一人ひとりの子どもを「丸ごときちんと受け止める」ということが決定的に大切であるということは、学校での実践や研修よりも、学童保育の研修会に参加し、いろんな報告や講演などを聞く中で学んだように思います。講演された先生方の本を何冊も読んだり、そこで紹介されている研究書などを読む中で、子どもに対する理解が深まりました。また、障がいを持っている子ども達についても学童の研修会やプロジェクトなどの中で学ぶことがとても多く、高校現場での生徒との対応にも大変役立ちました。

こういう研修を積んだからか、あるいはただ単に歳を取ったからかもしれませんが、ここ数年は以前にもましてさらに生徒の話をじっくりと聞くようになってきました。生徒の話の中には、わがままで一面的で未熟な面もいっぱい含まれています。しかし、そうした面も含めてきちんと受け止めて話を聞いてもらえるということは、生徒にとってとても嬉しいことのようです。生徒が抱えている悩みや課題について一緒に考え、生徒の良いところをいっぱいほめてその成長を励ましている毎日です。子どもの辛さや思いを同じ目線で話し合え、子ども達を励まし、支え、共に未来への希望を語れるような保育実践、教育実践をこれからも続けていきたいものだと思います。

「真実(まこと)を胸に刻む」ということに関して、私が今痛切に反省していることは、原子力発電についてです。古本屋で、たまたま原発問題の岩波ジュニア新書を見つけたので2冊(樋口健二著「これが原発だ」、西尾 漠著「原発を考える50話」)買って読みました。2冊とも15年~20年も前に発行された本ですが、まるで今の原発事故を予測しているかのようにその危険性を的確に指摘していました。福島第一原発のマーク1型という原子炉の設計者は、設計上の脆弱性があるので使用を停止すべきだと40年も前に指摘していたとか、福島第一原発は、運転開始直後からトラブルの連続であったなどということが今になって新聞や週刊誌で報道されています。こうしたことは当然国も東電も承知していたはずでしょうが、彼らから「真実」が語られることはありませんでした。

原子力発電所は、科学の粋を集めた安全なものなどではなく、常に故障を繰り返し、そのたびに下請けや孫請けの労働者達が被曝の危険の中で、時にはぞうきんで放射能を含んだ汚染水を拭き取るというような原始的な方法で対応しなければ運転を続けることができないきわめて危険なものであるということが、私の中では確信となりました。こうした危険なものの存在を許し、何の行動もしてこなかったということは、痛恨の極みです。

あふれる情報の中で、「真実を胸に刻む」ということは、実は簡単なことではありません。貧困の問題にしろ、無縁社会の問題にしろ、今急に出てきた問題ではありません。その「事実」があったのに、私達にはその「事実」を見る目がなかったということだろうと思います。「真実」を見抜く目を養うには、やはり常に目の前の現実から出発することです。そしてもう一つ大切なのが、子ども達のために自分ができる精一杯のことをしようという「情熱」だろうと思います。

日々の研修を通し、真実を胸に刻み、子ども達と共に未来への希望を語り合うことのできる素敵な指導員として、そして一人の人間として成長していくことができるように、みんなでがんばっていきましょう。

(この文は、指導員会の学習部ニュースの原稿として書いたものに、加筆したものです。)