「ルポ 子どもの無縁社会」を読んで2012年04月01日 22時53分13秒

最近読んだ本の紹介です。「ルポ 子どもの無縁社会」(石川結貴著 中公新書ラクレ)です。

住民票を残したまま一年以上所在不明になり、その後の就学が確認されない子どものことを「居所不明児童生徒」と呼ぶそうですが、文科省の「学校基本調査」によれば、2011年は、全国で1,183名にのぼっているということです。不明者の内訳は、小学生851人、中学生が332人となっています。(東日本大震災により、岩手県、宮城県、福島県のデータは未集計)

日本のような経済的に豊かで、治安も安定していると考えられている国において、一年間に千人以上もの子どもが行方不明になっているということは、実に驚くべきことです。

この背景には、大人社会においても無縁化が進んでいるということと、親自身が経済的に非情に不安定な状況に置かれているということがあるだろうと思います。現在、全労働者に占める非正規労働者の割合は、過去最高の34.4%となっており、三人に一人以上は非正規雇用で働いています。不景気の中、急に仕事を失ったり、収入が減ったりすれば、子どもの養育どころではないということになってしまいかねません。

昔、「誰も知らない」という映画がありました。柳楽優弥(やぎらゆうや)さんが、カンヌ国際映画祭で史上最年少かつ日本人初の最優秀男優賞を受賞したことでも大きな話題を呼んだ映画でした。ご覧になった方も多いかと思います。

この映画の中で、柳楽さんが演じていたのは、母子家庭の長男役。下に弟が一人、妹が二人います。子どもたちの父親は皆別々で、出生届も出されておらず、学校にも通っていませんでした。母親は、新しい恋人ができ、当座の生活費と置き手紙を残して姿を消してしまいます。4人だけでの過酷な生活が始まりますが、やがて電気や水道も止められ、食料も尽き果てます。一番下の妹が家庭内の事故で命を落としますが、長男は妹の遺体を密やかに埋め、何事もなかったかのように、世間の誰にも知られないまま3人での生活を続けていきます。

柳楽さんのカンヌ映画祭受賞の影に隠れてか、あまり注目されませんでしたが、実はこの映画は、実際にあった事件をモチーフに作られたものでした。

「居所不明児童生徒」の1,183人全てが、この映画のような悲惨な状況であるあるかどうかは分かりません。しかし、千人という数字の裏には、一人ひとりの児童・生徒の置かれた深刻な現実があります。その現実をきちんとつかみ、対応を取ることのできないということに、怒りと苛立ちを感じざるを得ません。

以前NHKで放映され、話題になった「無縁社会~無縁死3万2千人の衝撃」という番組があります。身寄りもなく人知れず亡くなっている方がたくさんいるということを報じた番組でした。人知れず亡くなった身元不明の死亡人のことを、行政用語では「行旅死亡人」と言います。法律では、「住所、居所、もしくは氏名がしれず、かつ引き取り者なき死亡人は、行旅死亡人とみなす」とされています。驚くべきことに、実は、大人だけでなく、「行旅死亡人」として扱われる子どもたちも少なからずいるのだそうです。

「行旅死亡人」は官報に載せられます。次のような、内容もあるのだそうです。

◆平成20年10月9日付 名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 嬰児 性別 女児 身長 48センチ 上記の者は、平成20年7月17日、仙台市○○○の公園内において、造園の選定作業を行っていた作業員が、ツツジの植え込みないに置かれた紙袋を発見し、臨場警察官が同袋内を確認した結果、ビニール袋にくるまれた嬰児死体であることが判明したもの。(後略)

◆平成20年11月27日 名前 本籍・住所・氏名不詳 年齢 嬰児 性別 男児 着衣 バスタオル二枚にくるまれ、黒色リュックサックに入れられ、黄色簿ジョール袋に入れられていたもの。上記のものは、平成20年10月16日午前11時頃、豊島区○○○コインロッカー番号394で回収した荷物の中から発見されたものである。(後略)

命を落とし、このように悲惨な形で発見される子どもたちも本当に悲惨ですが、虐待という形で保護される子どもたちもたくさんいます。大変にショッキングな内容の本です。

私たちが考えている以上に、今生きている子どもたちは大変な困難を抱えているし、これからの子どもたちも明るい未来を描いていくことが本当に難しい時代に生きて行かなければなならないのだということを痛感しました。子どもたちのために、今私たちができることは何なのか、真剣に考えていかなければならないと改めて感じました。

冒険遊び場ネットワーク草加の総会に参加しました。2012年04月29日 19時05分27秒

久しぶりのブログの更新です。

4月2日に今年度が始まりましたが、新年度に入って本当に忙しい毎日でした。今年度に入り、今日までで、土日も含めて、全く会議などがなかった日というのは、本当に数えるほどしかありませんでした。5月20日の、元気っ子クラブ総会議案も書き終わりましたので、最近あったことを少し書いてみます。

先週の土曜日21日に、「NPO法人 冒険遊び場ネットワーク草加」の総会があり参加してきました。私は、教員としての仕事もありますし、元気っ子クラブの方の活動もありますので、冒険遊び場の日常的な活動には直接参加してはいませんが、冒険松原遊び場ができるきっかけとなった、草加市内の公園調査に関わった縁で、ずっと監査を務めています。公園調査は、2000年に、草の根ネットの会のメンバーなどが中心となって市内の84の公園を調べたほか、公園の専門家や行政の担当者に参加してもらい、学習会を重ね「歩いて・見て・聞いて・調べた草加の公園」と題し報告書をまとめたものです。

こうした活動を重ね、冒険松原遊び場が常設開園を始めたのが、2004年4月でした。奇しくも、草加・元気っ子クラブが、市内14カ所の児童クラブ(学童保育)を始めた時と同じです。2002年に草加市制40周年記念事業があり、そのときのテーマが「パートナーシップによるまちづくり」でした。言葉ではなく、その当時の市の職員の中には、本気で「市民との協働」と言うことを考えていた人が多かったように思います。そういう雰囲気の中で、冒険松原遊び場や学童保育の統一運営を始めることができたのだと思います。

総会には、行政側から、総合政策課、子ども政策課、みどり公園課の方が来賓として出席していました。みどり公園課の方は、冒険松原遊び場設立の頃みどり公園課にいて、いったん他の部署に移ったあと久しぶりに戻ったのだそうです。設立にあたっては、都市公園を冒険遊び場として利用するということで、法律的な縛りもあり、行政側としてもいろいろと苦労したのだそうです。その当時は、本当にこういう形でいいのかと悩んだときもあったそうですが、総会の時に流した子ども達のスライド、本当に楽しそうな笑顔を見て、自分たちがやったことは間違っていなかったんだと確信したと語っていました。行政の方もそういう思いで、遊び場のことを見てくれているというのは本当に嬉しいことです。

学童保育以上に、冒険遊び場は、法的な位置づけも何もありません。子ども達の育ちにとって本当に大切な活動なのに、プレーリーダーの労働条件や身分は不安定です。十年近くも遊び場を維持し、発展させることができたのは、中心となって活動している方々が本当に献身的に努力しているからに他なりません。

行政や議会、市民の理解がもっと広がり、冒険遊び場がさらに広がり、安定的に運営できるようになることを心から願っています。

来年度13年ぶりに、埼玉県で「司書」採用試験の実施が決定しました!2012年04月30日 22時40分12秒

4月27日に更新された、埼玉県のホームページ「県政ニュース」によると、埼玉県は、来年度図書館司書を9名募集するということです。(「司書9名」という中には、県立学校に配置される学校司書だけでなく、県立図書館に配置される司書も含まれています。)埼玉県は、1999年に最後の採用を行って以来、12年間にわたって司書の採用を行ってきませんでした。

埼玉県では、これまで司書の退職者が出ても、正規職員を配置するのではなく臨任の職員で対応してきました。埼玉県高等学校教職員組合や図書館関係団体などが、これまでずっと県に対して要望を続けてきましたが、司書の募集が行われないまま現在に至っていました。今回13年ぶりに、「司書」の募集を行うということは画期的なことであり、本当に喜ばしいことです。

「本とのふれあい」を県の教育の重点課題として掲げている埼玉県が、今後も、学校図書館の充実のための施策を進めていくことを心から期待したいと思います。

学校図書館と司書配置の問題について、あまりご存じでない方もいらっしゃるかと思いますので、以下に少しまとめてみました。

世界的に見ると、小中学校も含めて、学校図書館に専門的な職員が配置されていない日本のような国は、少数派です。日本では、1953年に「学校図書館法」が制定され、「学校には、学校図書館を設けなければならない」(第3条)、「学校には、学校図書館の専門的職務を掌らせるため、司書教諭を置かなければならない」(5条)と定められましたが、同時に司書教諭は「当分の間置かないことができる」という例外規定も設けられました。常識的に考えれば、「当分の間」というのは、司書の養成が進むまでの臨時的な措置のはずでしたが、この規定が撤廃されたのは2003年のことでした。

2003年以降は、全ての小中高校に司書教諭が配置されることになりましたが、教諭の定数が増えたわけではなく、今いる教諭の中の一人を「司書教諭」と任命したに過ぎません。他の教員と同じように担任や教科を持っている教員が、「司書教諭」という名前をもう一つもらったということに過ぎないのです。(本校でも、図書館と関わりのない進路指導部の副主任の方が発令されています。)

司書教諭とは別に、司書資格を持った専任の職員(つまり図書館に常駐し、図書館業務を行う専門職員)を配置しようという運動が、学校図書館法制定直後から、組合や図書館関係者を中心として起きました。こうした運動の結果、埼玉県では、1968年に初めて司書採用試験による独自採用が始まり、1975年に、全ての全日制高校への学校司書の配置が実現しました。

埼玉県内の小中学校の図書館には、未だに、県費での図書館職員はいません。自治体によっては、「図書整理員」などの名称で、市費で短時間の臨時職員を配置しているところもあります。草加市では、21小学校11中学校がありますが、「学校図書館教育補助員」という名称で、一人が3校を兼務し、1日4時間月12時間勤務しています。