「原爆の日のプレーボール 半世紀ぶりに赤ヘルが帰ってくる」~平和の思いを伝えること2011年08月22日 23時48分20秒

この夏も、戦争や平和について考えさせられるさまざまな番組が放映されました。その中から、印象に残った番組をいくつか紹介したいと思います。

まずは、8月14日に放映された、日本テレビの「ドキュメント11」です。タイトルは、「原爆の日のプレーボール 半世紀ぶりに赤ヘルが帰ってくる」というものです。

私は知らなかったのですが、広島東洋カープは、1959年(昭和34年)以来、昨年まで52年間にわたって、原爆が投下された8月6日には、地元での試合をおこなって来なかったのだそうです。

1957年(昭和32年)に広島市民球場が建設され、この年と翌年には、8月6日に試合が開催されました。しかし、このことに対して、「原爆の日に原爆ドームの隣で野球の試合をするのは不謹慎だ」と多くの人が声を上げたそうです。その後、広島市は規則で、「8月6日は球場を使わない」としたため、52年間、8月6日球場に明かりが灯ることはありませんでした。

2009年に新球場に移り、原爆ドームの隣ではなくなったこと、さらに原爆投下から66年経ったということで、カープは今年53年ぶりに、原爆の日8月6日に本拠地広島で巨人戦を戦うということが決定されました。

この番組を見て次のようなことを思いました。

「66年という長い月日が経ったとしても、広島の人にとって「8月6日」というのは、絶対に忘れることのできない慰霊の日なんだということ(本来、全ての日本人にとって、世界中の人にとってそうあるべきなんだと思いますが。)。」

「そういう被爆者達の思いを、次の世代に伝えようと真摯に努力している若い人たちがたくさんいて、広島の地においてその思いが確かに伝わっているということ。」

「普通に野球ができること、学校に通って勉強ができるということは、実はとても幸せなこと何だということ、この平和な世界をこれからもみんなで作っていかなければならないんだということ。」

そんなことを感じました。

この記念すべきナイターの演出・企画を任されたのが、自身が被爆3世である球団職員の森下祐介さんでした。どんな企画をしようかと、かつての球団職員に相談したら、喜んでもらえるどころか、「今までやらなかったのに何でやるのか」と反対されてしまいます。被爆者の本音が聞きたいといろんな方に電話したところ、「静かな夜を過ごしたい」「できることならそっとしておいてほしい」「どうして、わざわざ8月6日に野球をしなければならないのか」などの思いかかえた方がたくさんいるということが分かりました。

被爆者のこうした本音を知った森下さんは、一時は中止も考えました。しかし、「カープは生きがい」「戦後の苦しい時代にみんなでカープを応援することで、励まされた人もたくさんいる」という被爆者も多く、こうした声に励まされ、被爆者の思いに応えられる試合、演出をすることを決意します。そのときにキーワードとなったのが、「とにかく8月6日がどういう日だったのかを忘れないでいてほしい」というある被爆者の声でした。

森下さんが考えた企画は、試合の冒頭に、爆心地から1.8㎞の場所で被爆した「原爆ピアノ」の演奏と詩の朗読を行うというもの。試合開始15分前、場内アナウンスにともない観客全員が原爆の犠牲者に黙祷。続いて、球場のウッドデッキ席裏に設けられた特設ステージにおいて、広島市出身のピアニスト萩原麻未さん(昨年度ジュネーブ国際音楽コンクールピアノ部門で優勝)が演奏しました。荻原さんのピアノ伴奏に合わせて原爆詩(高木いさおさんの「8月6日」)の朗読も行われました。「8月6日」の詩に込められた想いを来場者以外にも届けてもらえるようにと、この詩を印刷したポストカードも入場者全員に配布されたということです。

日頃のカープの試合では、私設応援団が、トランペットなども使い、賑やかに応援をしています。しかし、この日に限っては、広島東洋カープ私設応援団の新藤会長に特別にお願いし、「慰霊の日である」ということで、トランペットなどの鳴り物を遠慮していただきたいと要請をしました。新藤会長の言葉も印象的でした。「(8月6日が)祈りの日だということは理解している。広島と長崎は、平和を世界にアピールするということが一番大切なことだ。」新藤会長は、趣旨を理解し、鳴り物を自粛することを快諾してくれました。

さらに、 試合が終わった後、家路に向かうファンにむけたピースキャンドルも用意されていました。このキャンドルは、平和記念公園の「平和の灯」より採火され、5000本のキャンドルで「8月6日」という文字を浮かび上がらせ、平和への祈りを込めたものでした。

この日の試合には、8月6日の試合に反対していた、元球団職員の方も観戦していました。試合の後、森下さんに、「今日は良かったですね。」と話しかけ、被爆者のいろんな思いを「十分表現していただいて、うれしかった」と語っていました。

平和の大切さを改めて感じたし、被爆者の思いを次の世代に伝えていこうという若い球団職員の姿勢にも心を打たれるものがあり、とても良い番組でした。

最後に、当日朗読された、高木いさおさんの「8月6日」という詩と、カープの主砲栗原健太選手のブログの内容を紹介します。

8月6日

忘れてはいけないことは
決して忘れてはいけない

8月6日がやって来たら
「忘れてはいけない!」と声に出そう

8月6日がやって来たら
1945年に生まれていなくても
「忘れてはいけない!」と声に出そう

8月6日じゃなくても
戦争の話が出て来たら
「忘れてはいけない!」と声に出そう

8月6日じゃないし
戦争の話も出ていないけど
生命(いのち)のことを考えるときは
「忘れてはいけない!」と声に出そう

そして
生きたいのに死んでいった
沢山沢山の人たちのことを思いながら
生きていることの意味を考えよう

栗原健太選手のブログ

8月6日。
広島に世界で初めて原爆が落とされた日。
僕は今年の大地震で被災地に行った時、ものすごい衝撃を受けました。
物がたくさんあって、何もない。
僕の知る、東北の穏やかな自然が何もかもめちゃくちゃにしてのみこんでいった。

テレビでは見ていたけど全然違う。

もちろん、大地震があって「野球をする意味」も考えました。
家に帰れば当たり前のように家族がいて好きな野球をする
そんなんでいいのか。
僕は何をすればいいのか。
しばらくして、僕は広島にいるからこそ大事なことを思い出しました。
今、広島には被爆体験を語り継ぐ語り部の方がだんだん少なくなっているそうです。
広島は「伝えていくこと」をとても大切に、重要な課題にしています。
だから、僕も、ブログに8月6日のことを書いてきました。
僕みたいな山形出身者が何を書いても変かもしれませんが前にも書いてるように、被爆3世の嫁、被爆4世の娘たちが僕の家族です。

やっと、その「伝えていくこと」の何が重要か分かってきました。
地震による津波の影響もこれからその土地に伝わっていくはずです。
「伝えていくこと」は聞く人がそれが何か知ること。
広島の人たちは、その先に何があるかを知っています。
もし、原爆のことをあまり知らない方がこれを読んでくださってたら考えてみて欲しいです。
原子爆弾が広島に落ちた、その出来事としてではなくもし、今同じことが起こったら…
平和、というものの大切さ、素晴らしさ、凄さ。
「伝えていくこと」は「知ること」になって、人間にとっての幸せを考えたり、核兵器が地球から無くならないことを疑問に思ってみたり、自分に何が出来るだろうか考えてみたり。
こんなにも綺麗で高いビルがある広島も何もない焼け野原だった。
凄い。
長いこと書いて、分からない人もいるかもしれないけどただ一言、凄いよね?
歴史上、日本人はこうして復活してきた。
もちろん、並大抵ではない努力、金銭面的にも色々あるだろう
嫌になったり、どうでもよくなったり、悲しいことがあったり、腹立たしかったり。
でも僕は今日のこの日にこそ伝えたい、
何もない状況でも、これから絶対に大丈夫だ!と
元・何もなかった広島の地で僕は好きな野球をする。
52年間、この日に野球が広島でされることはなかった。
53年目の今年、僕は広島で好きな野球をする。
何かが変わる。何かが伝わってほしい。