乳幼児医療費無料化を実現した男~深沢晟雄さん2009年05月04日 22時31分44秒

昨日は、憲法記念日ということで、憲法25条の生存権について書きました。

「生存権」ということに関連して、是非とも皆さんに知ってもらいたい人がいます。それは、岩手県沢内村の村長であった深沢晟雄さんという人です。この人は何をやった人かというと、「赤ちゃんを一人も死なせない」という決意で、日本で初めて乳幼児医療費の無料化を実現した人です。

今でこそ、乳幼児の医療費が無料なのは当たり前であり、中学3年生までの医療費が無料の自治体もしだいに増えてきています。しかし、深沢さんが村長になった頃は、そうではありませんでした。

深沢晟雄さんが、沢内村の村長になったのは、1957年。その前年、沢内村では158人の赤ちゃんが生まれ、11人が死亡しました。当時、岩手県が、全国で一番乳児死亡率が高かったのですが、その岩手県の中でもさらに乳児死亡率が高かったのが沢内村でした。

「月にロケットが行く時代にあかちゃんがコロコロ死ぬなど許せない。乳児死亡率ゼロを目指す。」これが、深沢村長の決意でした。

最初の困難は雪でした。沢内村は豪雪地帯でした。冬雪が降り積もると、子どもが病気になっても病院に行くことができませんでした。道路を除雪し、冬でも病院に行けるようにすること、これが最初の課題でした。当時、除雪のためのブルドーザーは、当時県に2台しかありませんでした。ブルドーザーを確保するために奔走する深沢村長。その熱意を聞きつけた建設機械会社が最新型のブルドーザーを貸してくれることになりました。

次は、医者の確保でした。母校である東北大学に、弁当を持って日参しますが、「あんな山奥の村に派遣すれば、医師の技量が落ちてしまう」と断られてしまいます。通い続けること数ヶ月、根負けした大学は医師の派遣を約束してくれました。

次に、深沢村長が考えたのが、医療費の無料化でした。彼が提案し乳児医療費無料化に対して、県や国が異議を唱えました。当時の、国民健康保険法では、医療費の半額は本人が支払わなければならないと定められていたからです。

深沢村長の提案は法律違反であるという岩手県庁の職員に対し、彼は次のように答えます。

「国民健康保険法には違反するかもしれないが、憲法違反にはなりませんよ。憲法で保障している健康で文化的な最低の生活すら出来ない国民がたくさんいる。訴えるならそれも結構。最高裁まで争います。本来国民の生活を守るのは国の責任です。しかし、国がやらないのなら私がやりましょう。国は後からついてきますよ。」

「村民の生命は村が責任を持つ」という信念のもと、国や県の反対を押し切って、彼は、乳児医療費の無料化を実施します。さらに、巡回検診、保健師の増員と次々に手を打ち、1962年に、乳児死亡率ゼロ、つまり「赤ちゃんを一人も死なせない」ということを実現します。

深沢村長の言葉通り、その後他の自治体や国は、沢内村の後に従い乳幼児医療費の無料化を実施していきます。

深沢村長は、昭和40(1965)年、現職のまま、食道がんで亡くなります。享年59歳でした。亡くなる一月前に録音された年頭の挨拶の肉声が残っています。

「ややも致しますると現実的な生活の厳しさから、命あっての物種ではなく、物種あっての命というふうに考えやすいのでありますが、物が命よりも大事だということになりましたのでは、これは極めて危険な恐ろしい考え方だと申すほかございません。このすがすがしい希望の躍動する新春に当たりまして、みなさまとともにあらためて、政治の中心が、生命の尊厳尊重にあるということを再確認いたしたいのでございます。」

40年以上も前に深沢村長が語った言葉、「政治の中心が、生命の尊厳尊重にある」という言葉を、改めて今、多くの方々と確認をしたいと思います。

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